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忘れもしない日 ~人生のターニングポイントvol.6~ 告白

query_builder 2021/01/07
ブログ
病室3

なんかサブタイトルが『北の国から』っぽくなってきた・・・

2月2日奇跡の出逢いにより、

前だけ向いて進んでいこうと決めた私には、まだやらなければいけないことが残されていました。

それは、事故に遭い心配してくれていた、祖父母や友人へ切断したことを告白することです。

2月6日(金)

祖父母が事故直後に入院していた病院にお見舞いに行ったら、「退院しましたよ」と言われ、安心したと、私の携帯に電話がありました。

前を向くと決めた私は、

「ばーちゃん、驚かんで落ち着いて聞いて」

「退院したんやないんよ。病院を変わったんよ」

「それでね。落ち着いて聞いてよ」

「脚をね。切断したんよ」

電話の向こうで、

「なんでね」

「なんでね」

と泣く祖母の声が聞こえ

私も涙があふれ、

「ごめん」「ごめん」

「でも、大丈夫やけん」

「前と同じように、何でもできるようになるけん」

この日の日記には、

祖父母に切断したことが伝えられ、胸のつっかえがとれた。

と書いています。

 

2月7日(土)

祖父母がお見舞いに来ました。

車の免許を持っていないばーちゃんは、

じーちゃんの運転で一緒に病院にきました。

でも、病室に来たのは、ばーちゃんだけでした。

じーちゃんは、戦時中の人で、脚を失った孫を見ることが出来ないと、

駐車場までしか来れなかったのです。(戦争で足を失った軍人さんの生活を見ているからこそ、孫の姿が見れなかったのだろうと思います。)

この時、私の中で一つの目標が出来ます。

『病室に来れないなら、リハビリを頑張って、歩いて駐車場までじーちゃんに会いに行く』

この目標を、早急に達成するために、めちゃくちゃリハビリしました。

 

2月8日(日)

外出の許可が出ました。

入浴許可が出ました。

その日の夕方、高校時代の親友たちが、お見舞いに来たらしいが、顔を見せずに帰ったとのことでした。

やっぱり、親友が切断したって聞いたら、どんな顔で会って、どんな言葉をかけたらいいかわからなかったらしい。

だから、逆に友達たちには、こっちから電話をかけまくった。

とにかく、明るく元気よく電話したのを覚えています。

 

当時、熊本県に住んでいて、入院していたのは実家がある北九州市の病院でした。

熊本のリハの学校の同じアパートに住んでいた友達にも電話をかけました。

1時間くらいかな、いろいろ話をして、電話を切って、3時間後、

病室を『コンコン』とノックする音が、

「はーい」と返事をすると、

3時間前に電話をしていた友達がレンタカーを借りて、友達数人と会いに来てくれました。

これは、めちゃくちゃ嬉しかったなー

 

2月9日(月)

リハビリが開始される。

リハプログラムは、片脚立位訓練、立位での踵上げ、切断肢への弾性包帯の巻き方指導でした。

リハ学生で実習で、患者さんにリハビリをしたことは、ありましたが、自分でリハビリを受けてみるときつかったですね。

この時、もう一つ目標が出来ました。

『絶対9月までに復学する』

 

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